バンド紹介


 

バンドリーダー清水靖雄が語るバンド誕生の経緯。

 

●地元でジャズ・ビッグバンドを

 二俣川駅の旭区民文化センター(サンハート)でシニア向けにジャズ・ワークショップが開かれ、参加しました。その修了生によって、ビッグバンド「サンハート・ジャズオーケストラ」(現・「横濱J&Bオーケストラ」)を立ち上げ、活動しました。

 バンド運営のノウハウや県内の人脈を広げる中で、いずれ地元でビッグバンドをやりたい、ジャズ音楽を地元の方々に楽しんでいただき、地域文化の向上に貢献したい、という思いが段々と強くなって来ました。横浜、横須賀から始まった戦後のジャズ音楽では、県央は後進地域です。横浜から座間に移り住んで15年、特にキャンプ座間のある座間市には、当時ビッグバンドがなかったんです。

 それで1997年5月、市役所に相談にいったところ、当時の座間市役所 生涯学習課 東地区文化センター館長を担当していた梅田 稔さんに出会いました。梅田さんは青山学院大学ロイヤルサウンズジャズオーケストラのドラムの方で、とんとん拍子に話が進み、市の広報誌でメンバー募集をし、7月には発足することができたんです。定員17人、あっという間に集まった。これがZAMAビッグバンドジャズオーケストラです。

 幸いなことに、練習会場はハーモニーホール座間の練習室や市内の市立公民館などが使用でき、梅田さんが初代コンサートマスターとなって音楽づくりで指導され、私がバンドマスターとして内外の調整にあたりました。翌年2月には、ハーモニーホール座間で初めて演奏し、大勢のお客さんの拍手に迎えられて感激しましたね。

 

 

●バンド名あれこれ

 「ZAMAビッグバンドジャズオーケストラ」という名前は、座間市に市民団体として登録するため、私が名付けました。ジャズはアメリカ由来の音楽なので、漢字の座間よりアルファベットのZAMA、お洒落でかっこいいでしょう。いろんなジャンルの曲にチャレンジし、ストリングス付きなどバンドの編成も広がりを持てるよう、「ZAMAビッグバンドジャズオーケストラ」という名前にしました。

 本場アメリカではデューク・エリントン・オーケストラやカウント・ベイシー・オーケストラ、日本でも原信夫とシャープス&フラッツなど、プロの大御所名を冠し、それぞれ個性的な音楽で人気を博したビッグバンドがあります。

 しかし、私たちは誰かに雇われ、ひとつの音楽や特定のバンド像を目指すというよりも、座間市在住・在勤のジャズ好きが自主的に集まったアマチュア市民バンドなので、いろんな経験や技量、音楽観を持った多様な市民が、互いを敬い、みんなで音楽を創り上げていきたい、という願いを名前に込めました。

 

 

●バンドの特徴

 楽団発足時から、プロミュージシャンから音楽指導を受けています。アマチュアだけではまとまりが付かなくなるけれど、プロの指導で曲の勘どころ、技術的なアドバイスも的確に、効率的に分かります。音楽性、演奏レベルの向上から、演奏時間と曲順の構成、音響や照明など舞台づくりまで、様々な面でプラスになっていると実感しています。

 また、2014年から、在日米陸軍軍楽隊(キャンプ座間)のメンバーとの交流が始まり、定期演奏会や厚木ジャズ祭りなどでコラボレーションが続いています。2017年には、軍楽隊を退役された二人の方がバンドに入団し、本場のジャズの息吹を吹き込んでくれています。大いに刺激され、私自身、もっと練習をしようと痛感しています。

 

 

●バンド活動と地域貢献

 私の考えるバンドのモットーは、「メンバーの和をもって地域貢献する」です。具体的には、座間市内のさくらまつり、公民館まつり、市外では厚木ジャズ祭り、横濱ジャズプロムナードなどに参加。自主活動として、定期コンサート、横浜元町クリフサイドでのクリスマスジャズナイトなど、年に6~8回の演奏活動を続けています。

 地元の方々に支えられてきたアマチュア市民バンドですので、定演はじめ、地域の様々なイベント、養護施設や高齢者施設などでの演奏活動を通して、地域文化の向上に一役買えればいいな、と考えています。やはり生の音の力は大きい。身近なところで、生バンドの迫力やジャズの楽しさに魅力を感じ、生活の質がより豊かになればと思っています。ビッグバンド活動は、楽しいジャズ音楽を通して、演奏者もお客さんも、高齢時代を生き抜く健康寿命の増進と生涯学習、交流の場づくりの役目もある、と感じています。

 ビッグバンド・ジャズを多くの人々に楽しんでもらいたい。そして縁があって集まったバンド仲間への感謝とけじめが大切だと思っています。たった一人でやる一人称の音楽でなく、仲間やお客さんとともに楽しめる“三人称の音楽”。だから練習の始めと終わりはあいさつと礼で終わりたいものです。

 私自身やメンバーも失敗があったり、転勤や体調や家庭の事情などもあったりと様々。時代とともに音楽もメンバーも指導者も変わりますが、ジャズ音楽を通して仲間に感謝し、生涯音楽を楽しめる地域づくりに貢献したい、という思いですね。